アソシエーションをめぐる最近の動向
田 畑 稔(季報『唯物論研究』編集長、広島経済大学教授)
以下は、1999年8月20日に北京の中国社会科学院哲学研究所でおこなわれた同研究所と大阪哲学学校との交流会で報告したものであり、季報『唯物論研究』第70号(1999年11月)に掲載されたものである。
【1】旧「ソ連東欧社会主義」の大崩壊に伴い、日本でもマルクス主義は深刻な打撃を受けました。同時に再出発のさまざまな挑戦もなされております。日本における最近のマルクス研究の中心動向の一つに、「アソシエーション」の概念を基本にしたマルクス再読の動きがあります。これは、今日の日本におけるマルクス再解釈の有力な一方向となっております。代表的な刊行物は以下にリストアップした通りです。この方向は日本では、廣西元信、平田清明、田中清助、大井正ら多くの先人たちの仕事の上に展開されているものです。また、日本の第一線で活躍するマルクス研究者105名の共同作業で昨年刊行された『マルクス・カテゴリー事典』(青木書店、1998年)も、背景的問題意識の一つに「アソシエーション」を据えております。著名な文芸評論家柄谷行人も最近の著作『トランス・クリティーク』(『群像』1998年連載)で新しい批判思想を展開し、実践的帰結として「アソシエーション」を語っております。
・田畑稔『マルクスとアソシエーション』(1994年、新泉社)
・大谷禎之助(法政大学教授、新メガ編集者)「社会主義はどのような社会か」(『経済志林』63巻3号、1995年)
・大藪龍介(政治学者、福岡教育大学教授)『マルクス社会主義像の転換』(1996年、御茶ノ水書房)
・植村邦彦「マルクスの「アソシアシオン」論」、岡村ほか編『制度・市場の展望』1994年、昭和堂、所収
・国分幸(岐阜経済大学教授、倫理学)『デスポティズムとアソシアシオン構想』(1998年、世界書院)
【2】マルクス・アソシエーション論の研究は、次の諸点に光を当てました。
(1)マルクスではAssoziationや分詞形容詞形のassoziirt(associated)が、彼の理論の全体構成にかかわる基本概念として用いられています。『共産党宣言』の結語「各人の自由な展開が万人の自由な展開の条件であるようなひとつのアソシエーションが出現する」(MEW4-482)は余りにも有名です。マルクスは後に、未来社会を「自由で対等な生産者たちの諸アソシエーションからなる一社会」(18-62)とも表現しております。他にも「 assoziirtな労働」(16-12)、「 assoziirtな生産様式」(25-456)、「assoziirtな諸個人」(13-67)、「 assoziirtな知性( Verstand)」(MEGA2-・-4-2-331)といった極めて重要な表現が系統的に見られます。
(2)しかし日本語版マルクス・エンゲルス全集(大月書店)では、 Assoziationやassoziirtに実に20以上のバラバラな訳語が当てられてしまっており、「概念としての統一性」を全く失ってしまっております。つまり「アソシエーション」はマルクスの基本概念としては、これまで光を当てられなかったということを示しております。またマルクス死後のエンゲルス加筆により、事実上隠れてしまったものも一部あります。
(3)マルクスでアソシエーション論が最初に見えるのは、1843年で、「政治体」を「アソシアシオンの一形態」として構成しようとするルソー『社会契約論』の研究です(MEGA2-・-2-91以下)。これはマルクスの民主制論や国家論に大きな影響を与えました。45年-46年の『ドイツ・イデオロギー』では「諸個人の連合化」論として、マルクス・アソシエーション論の原型ができあがります。『共産党宣言』(48年)の成立史は、マルクスやエンゲルスの共産主義者同盟への加入に伴い、同盟のキーワードが「G殳ergemeinschaft(財貨共同体)」から「アソシエーション」に移行したことを示しております。しかし『宣言』を含め、50年代はじめまでのマルクスには、協同組合やコミューンの積極評価が欠けていたこともあって、過渡期の実践的方策が極めて国家集権的なものになってしまっているという限界があります。60年代の「国際労働者アソシエーション」関連の政策的諸文書や『資本論』では、資本制から「 assoziirtな生産様式」への移行形態として協同組合をきわめて高く評価しております。71年の『フランスの内乱』関連文書では、「国民的統合」を諸コミューンの連合として構想し、「可能な共産主義」も「連合した協同組合諸団体が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整する」(MEGA2-・-22-143)システムとして構想しております。これは『宣言』の移行形態論と異なり、複数的多元的なシステムの構想です。75年の『ゴータ綱領批判』では国家援助による生産協同組合を主張するラッサール派「国家社会主義」に反対し、「労働者の独立の創設物」としての協同組合を主張しています。
【3】私はマルクス・アソシエーション論の特徴を次のように理解しております。
(1)マルクスでは、共産主義は同時に「自由な個人性」の歴史的展開過程として了解されます(『ドイチェ・イデオロギー』など)。ですから回復されるべき共同性は、諸個人が全体社会に服属するような、近代以前の「自生的共同体」ではありえません。「自由な個人性」が「共同性」と結合しうる社会形態、これこそがマルクスの言うアソシエーション形態にほかなりません。
(2)マルクス・アソシエーション論は「過程論的アソシエーション論」と特徴づけられるでしょう。それは資本制や国民国家の欠点を補う「補完論的アソシエーション」でも、体制は重たいが周辺でなら自由の余地があるとする「周辺論的アソシエーション」でも、アソシエーションと権力関係を二元論的に対置する「原理主義的アソシエーション論」とも異なります。「過程論的アソシエーション論」は市場競争や権力行使や官僚制といった「脱アソシエーション化」の諸力を認めつつ、諸個人の自己統治能力の展開に応じて「再アソシエーション化」の力も働く、歴史過程としてアソシエーション過程を見るのです。
(3)マルクスではアソシエーション過程は権力過程、および物件化(物象化)過程という二つの過程に対する対抗過程として位置づけられていると言えます。
第一に、資本制は個別労働を束ねて「社会的生産諸力」を引き出しました。しかしこの「社会的生産諸力」は諸個人を束ねる資本家の「権力」として外化形態をとります。資本という権力によって束ねられた諸個人が、危機と闘争を経過しつつモラル的政治的成長をとげ、単に「束ねられた」あり方を「アソシエーティッドな」あり方に変革していく。これがアソシエーション過程です。
第二に、資本制のもとでは諸個人の人格的諸関係は物件(商品・貨幣)相互の関係として現象します(物件化)。その結果諸個人間の社会的諸関係は諸個人のコントロールを免れ、まるで自然法則のように諸個人を支配します。こういうありかたを克服するには、諸アソシエーション間の「協議」にもとづく「共同のプラン」によって、諸個人が生産と消費の総社会的調整を主体的にコントロールしなければなりません。これもアソシエーション過程のもう一つの側面です。
(4)(3)からの帰結として、アソシエーション内自己統治とアソシエーション間自己統治の不可分性がマルクスにより強調されます。個別アソシエーションだけでは市場メカニズムや官僚システムに飲み込まれてしまうのであって、アソシエーション間ネットワークの積極展開が不可欠です。
(5)「自発的運動と未来社会との連続性としてのアソシエーション」という視点があります。イギリスで労働者たちがはじめて「アソシエーションの自由」を獲得したのは1824年です。労働組合や協同組合や文化的アソシエーションなどの自発的運動からはじまり、さまざまな形態転換や脱アソシエーション過程や政治的手段の行使などを経過しつつ、未来社会へと前進して行く歴史的過程における連続性は、まさにアソシエーション過程としての連続性にほかなりません。
(6)「ソ連型社会主義」はマルクス・アソシエーション論に照らして見れば、次のように了解されましょう。イギリスでは国家権力の支えはあったものの、私的資本によって個別的労働を束ねました。しかし後進国であったロシアでは、社会主義を奉じる公権力が諸個人を束ねて産業化を強行する形態をとりました。けれども束ねられた諸個人がモラル的政治的成長を遂げて、自己統治能力を展開し、「束ねられた」あり方を「associatedな」あり方に転換していくという、本来の社会主義的課題は、さまざまな歴史的条件や主体的な誤りのために、本格的に提出されないまま、体制崩壊を迎えてしまいました。「アソシエーションの自由」も事実上不在のままでした。
(7)現代思想との関係で見れば、マルクス・アソシエーション論はグラムシ「市民社会論」やハーバーマス「コミュニケーション論」など、現代思想の成果をマルクス思想と結びつける重要なチャンネルになると思われます。
【4】最後にマルクス・アソシエーション論の現代的意義をいくつか確認しておきたいと思います。(時間の関係で報告では省略も可)
(1)合衆国のP・サラモンらの調査によれば、現在「非営利セクター」(NPOやNGO)が急速に増大しております。フランスのドゥフルニらの調査は「社会的経済セクター」(協同組合など)の伸びを指摘しています。サラモンはこれをグローバルな傾向ととらえて、21世紀末我々は「アソシエーショナルな革命」の渦中にあると指摘しています。これを促した力として、市民が中央政府の能力の限界を自覚し、問題解決の手段を自分達の手に取り戻そうとしていることをあげています。
(2)このような流れを受けて、イギリス・ブレア政権のブレーンの一人であるP・ハーストは、H・ラスキらの「多元的国家論」の復権をとなえつつ、「アソシエイティヴ・デモクラシー」の実践的構想を提示しております。これは市民のアソシエーションに中央政府が公的諸機能を大幅に委ねるシステムです。これらは先の区分では「補完論的アソシエーション論」ですが、アソシエーション型社会への変革が机上の論議でないことを示しております。
(3)日本では、家族や地域社会や子供社会など日常生活世界の解体が深刻化しており、ボランティア活動、セルフ・ヘルプ・グループ(悩みをもつもの同士の相互援助組織)の重要性も認識されつつあります。環境、平和、国際援助、反差別などのためのNGO、NPOの社会的認知も進み、不十分ながらNPO法も制定されました。協同組合では生活者原理をかかげる新しい協同組合が、労働組合ではコミュニティー・ユニオン(地域密着型の小規模組合)や管理職ユニオンが活躍しています。経営権力を産業領域で見ると、協同組合形態に親和的な「ヒューマン・インターフェイス」領域(介護サーヴィスなど)で需要の伸びが予想されております。しかし全体としてみれば、日本のアソシエーション諸形態は質量ともに、まだまったく不十分で、日本国市民はもっともっと「アソシエイティヴに生きることを学ぶ」必要があります。資本主義的経営体のコーポレート・ガヴァナンスに対するチェック・システムも大変遅れています。
(3)1980年台に「会社主義」が崩壊したあと、多くの日本国市民は新しい価値を模索中です。一部に日本ナショナリズムの復活の動きが顕著ですが、21世紀日本について、ナショナリズム・オプションには未来はまったくありません。NGOなど国家帰属を超えた市民のアソシエーションの積極展開にこそ未来があります。合衆国単独覇権、合衆国スタンダード=グローバルスタンダードを抑止する力としても、世界市民的アソシエーションの役割は大きくなりつつあります。
(4)マルクス・アソシエーション論は、こういう歴史的な動きを普遍化し、原理的に深化させる上で大変重要な意味を持つと思われます。